古賀稔彦の死因はがん!どこのがんだった?最期まで母親に言わなかったのはなぜ?

古賀稔彦さんは、1992年バルセロナ五輪柔道男子で金メダリストとなり、「平成の三四郎」の異名を持つ柔道家です。

佐賀県出身で、中学から東京の講道学舎に入門し、日体大でトップ選手へと成長。89年、91年には世界選手権を連覇し、バルセロナ五輪では大会直前に左膝を負傷しながらも金メダルを獲得しました。

現役引退後は指導者として後進の育成に尽力し、2004年アテネ五輪で女子選手を金メダルに導いた経歴があります。

そんな古賀さんも2021年3月24日午前にがんのため亡くなりました。53歳の若さでした。

この記事では、古賀さんがどこのがんだったのかがんのことを最愛の母親に最期まで言わなかったのはなぜかを考察しています。

 

古賀さんのがんは腎臓?

当時の報道によると、古賀稔彦さんが亡くなった原因は「がん」とのみ公表されていましたが、具体的ながんの種類についての詳細は明かされていませんでした。

古賀稔彦さんが2020年5月に腎臓の片方を摘出したことが報じられており、腎臓がんの可能性が高いと考えられます。

ちなみに、デイリー新潮は「腎臓がん」とはっきり断定した表現を書いています。

享年53。「平成の三四郎」と呼ばれた柔道家、古賀稔彦の若すぎる病死(腎臓がん)に衝撃が走った。

デイリー新潮

ただ、亡くなるころにはがんが体全体に広がっていたと思われ、終末期特有の腹水の蓄積が見られました。

 

がんのことを母親に言わなかったのはなぜ?

古賀稔彦さんの母親 愛子さんは、古賀さんの長男から電話で知らされるまで、古賀さんががんで闘病していることを知りませんでした。

古賀さんが闘病のことを母親に言わないように家族に口止めをしていたようです。

そのように、口止めしたのはなぜでしょうか?

愛子さんがお別れを言うため、古賀さんの顔を見た時、別人のようにげっそりと痩せていたそうです。愛子さんは「この姿を息子は私に見せたくなくて病気のことを伝えなかったんだと腑に落ちました」(週刊ポスト)と述べています。

金メダルを取るほどの立派な体格だった自分のやせ細った姿を、古賀さんは最愛の母親には見せてつらい思いをしてほしくなかったのかもしれませんね。

 

まとめ

古賀稔彦さんのがんがどこだったのか、がんを母親に最期まで言わなかったのはなぜかをまとめました。

古賀稔彦さんの早過ぎる死は、彼が背負ってきた重荷と同時に、その生き方が私たちに残した深い印象を物語っています。

愛する人に苦痛を与えまいとした彼の選択は、深い愛情の表れであり、その心の強さに改めて敬意を表します。古賀さんの遺した足跡は、柔道界はもちろん、多くの人々の心に永遠に刻まれるでしょう。